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「未来へと記憶を伝えるために大切なのはビジョンを持つこと」——MIT メディアラボ副所長 石井裕 氏が語る記憶の未来

7 月 11・12 日の 2 日間にわたり「Evernote Days 2014 Tokyo」をお台場の日本科学未来館で開催しました。Evernote が日本で開催するイベントとしては過去最大規模。各業界の第一線で活躍する多彩なゲストやスピーカーを迎えて、「記憶の未来」をテーマにさまざまなセッションが行われました。 これまでに以下のセッションをレポートしてきました。 脳科学者・茂木健一郎氏が語る「イノベーションの起こし方」 投資の世界で勝ち残るにはどうすればいいのか——投資家・藤野英人氏が語る記憶の未来とは ライフハッカー、ハフィントン・ポスト、WIREDの現役編集長が語ったウェブメディアの現状と将来 写真で振り返る Evernote Days アンバサダーセッション 東大寺が1200年の歴史で受け継いできたものとは——東大寺住職・森本公穣氏が語る「記憶の未来」 今回は、MIT メディアラボ副所長 石井裕 氏による DAYS 2 基調講演「未来記憶」をレポートします。 『人間が歴史から学んだことは、歴史から何も学んでないということだ』 石井さんは 1956 年生まれ。北海道大学大学院修士課程修了後、電電公社(現 NTT )、西ドイツの GMD 研究所客員研究員、NTT ヒューマンインターフェース研究所などを経て、1995 年よりマサチューセッツ工科大学準教授に就任、現在は MIT メディアラボ副所長を務めています。 この日も Evernote Days のためにボストンから来日されたという石井さんの講演は、2011 年 3 月 11 日に発生した東日本大震災の話題からスタートしました。 「まだ生々しく残っている、3.11 の記憶。いかに過去を語り継ぎ、啓蒙するかが大切なことです」 そう切り出した石井さんは、東日本大震災について一旦「想定外」「未曾有」と表現しながらも、すぐに「(想定外というのは)嘘です。(震災は)想定されていた」と「想定外」を否定します。 「過去に何度も同じレベルの震災があった。でも結局、人々はそれを忘れてしまいました。風化した石碑『大津浪記念碑』には 1896年 と 1933 年の三陸大津波を生き延びた先人たちの知恵が刻み込まれていました。『高き住居(すまい)は児孫(こまご)に和楽(わらく)、想へ(おもえ)惨禍(さんか)の大津浪(おおつなみ)、此処(ここ)より下に家を建てるな。』と。伝承があったにも関わらず、なぜ忘れてしまったのか」 石井さんはその理由として、ウィンストン・チャーチルの言葉、『人間が歴史から学んだことは、歴史から何も学んでないということだ』を挙げています。 「結局、忘れてしまう。記録がないからではなく、リマインドしていないのです。次に来る震災に備えないといけません」 母のために作った「musicBottles」とTwitter 今回のテーマでもある「未来記憶」とは、次の世代にいかに伝えていくか、ということ。石井さんはここで、1999 年に自身が発表された「musicBottles」(ミュージックボトル、音楽の小瓶)を紹介し、次のように述べています。 「これはオンラインのデジタルコンテンツの入れ物としてデザインしました。ガラスなので、落ちると壊れます。リブートできない。それがひとつの美しさの要因でもあります。この『musicBottles』プロジェクトは、母へのプレゼントというパーソナルな理由でスタートしました。母は今日の天気を知りたくて TV を見ます。でも、そうではなくて、ブルーの小瓶を枕元に置いてあげたかった。瓶から小鳥のさえずりが聞こえれば天気は晴れだとわかるのです」 しかし、石井さんの母は「musicBottles」を見ることなく、1998 年に亡くなります。 「悲しいことは忘れてしまうんです。命日とお盆くらいしか思い出さなくなる。そこで僕は母の Twitter アカウントを作りました。母は和歌をたくさん残していて、それを Twitter でつぶやく

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東大寺が1200年の歴史で受け継いできたものとは——東大寺住職・森本公穣氏が語る「記憶の未来」

7 月 11・12 日の 2 日間にわたり「Evernote Days 2014 Tokyo」をお台場の日本科学未来館で開催しました。Evernote が日本で開催するイベントとしては過去最大規模。各業界の第一線で活躍する多彩なゲストやスピーカーを迎えて、「記憶の未来」をテーマにさまざまなセッションが行われました。 これまでに以下のセッションをレポートしてきました。 脳科学者・茂木健一郎氏が語る「イノベーションの起こし方」 投資の世界で勝ち残るにはどうすればいいのか——投資家・藤野英人氏が語る記憶の未来とは ライフハッカー、ハフィントン・ポスト、WIREDの現役編集長が語ったウェブメディアの現状と将来 写真で振り返る Evernote Days アンバサダーセッション 今回は、東大寺塔頭清凉院 住職・森本 公穣 氏によるセッション「東大寺1200年の記憶」をレポートしていきます。 森本さんは 1968 年、東大寺に生まれ、15 歳で得度。龍谷大学大学院仏教学専攻博士課程を修了された後、大仏殿副院主、東大寺図書館副館長、東大寺福祉事業団常任理事などを経て、現在東大寺学園常任理事を務めておられます。もちろん、以前からの Evernote ユーザでもあります。 そんな森本さんによるセッションはまず、東大寺の基本的な紹介からスタートしました。 東大寺はどのようにして創建されたのか 東大寺は言わずと知れた古都奈良の文化財にして、世界遺産の一つ。世界最大の木建造物である東大寺大仏殿や、「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)はあまりにも有名です。しかし、東大寺は「寺」という名称ではあるものの、皆さんが想像するような一般的なお寺とは少し違うものだと森本さんは言います。 「東大寺ではお葬式もしませんし、お墓もありません。仮に東大寺の僧侶が死んでも、お葬式はよそのお寺にお願いすることになります。じゃあ東大寺は何をしているのか。東大寺はもともと、仏教を学ぶ場所であり、すべての生命の繁栄を願う場所として作られたお寺なんです」 時を遡ること1200年。8 世紀の半ば、聖武天皇により創建された東大寺には、「動植咸(ことごと)く栄えむとす」という言葉が「大仏造立の詔」として残されています。これは一般企業でいうところの「創業理念」のようなものであると森本さんは述べています。 「意味は、動物と植物すべてが栄える世の中にしたいということ。聖武天皇はまた、『それ、天下の富を有(たも)つは朕なり。天下の勢を有(たも)つは朕なり』という言葉も残しています。為政者がただ決めて何かを作るのであれば、それは無駄な公共事業にすぎません。東大寺創建がそんなことになってはならない、理念を共有して心をひとつにしてやっていくのが大事だと聖武天皇は考えたのです」 なぜ東大寺が建てられたのか。その理由は当時の時代背景にありました。奈良時代は華やかなイメージがある一方で、旱魃や飢饉、病気、政変、地震、皇太子の死など、数々の不幸に見舞われた時代。聖武天皇はこれらの天災に対し、「責めは予一人に在り」(私に責任がある。私に力がないために天が味方してくれないのだ)と述べており、救いを求めて仏教を学ぶことにしたのだといいます。 「奈良時代の日本全体の人口は五百数十万。そのうち約半数にあたる260万人が聖武天皇の呼びかけに応じて協力し、大仏が完成しました。天皇が言うから協力するのではなく、自分で考え、それぞれが判断して協力したのです。奈良の大仏はそうやって生まれました」 東大寺、その復興の歴史と人々の思い。 天平勝宝 4 年(752)4 月 9 日、大仏開眼供養会が行われます。供養会では僧侶が仏の前で筆を持ち、目を書き入れる仕草をするのが作法となっていましたが、このとき使われた筆と、それに結び付けられていた紐は、なんと 1200 年を経た今でもそのままの形で正倉院に保管されています。 「その後、東大寺は二度焼かれています。最初に焼かれた際、東大寺を復興させたのは重源上人。この方は『尺布寸鉄一木半銭』というキャッチコピーを考えて、人々に復興協力を求め、25年にわたって東大の復興に尽くしました。南大門にある金剛力士像も、重源上人の時代に作られたものです。二度目は戦国時代、松永久秀という武将により、東大寺は再び焼かれました。これを復興したのは、当時37歳だった公慶上人です。公慶上人は復興のための基金を集める托鉢を行い、京都を一軒一軒訪ね歩いて仏の教えを説き、協力を頼みました。公慶上人は上棟式が終わったタイミングで亡くなったのですが、あとを引き継いだ弟子たちが大仏殿を完成させ、そちらへ向けて公慶堂を造ったのです」 公慶上人の思いを引き継ぎ、東大寺を復興させた弟子たち。森本さんはそこに「先人の思いを受けて、後の人たちのために何をしていくか」というテーマを見出します。そのために重要なのは「どんなことがあってもやめない」ということ。それこそが、今回のイベントのテーマでもある、『記憶の未来』にも通じるのだと森本さんは言います。 「牛玉誓紙(ごおうせいし)という紙があります。これは戦国時代からずっと、東大寺の僧侶の名前が書き連ねられている記録で、私の父の名前も、私の名前も記されています。東大寺が建てられてから、たくさんの僧侶が亡くなったり焼け死んだりしました。困難だった時代でも一生懸命にやってきたことが、今の私たちにわかるような形で残されています。私自身もこうやって記録された文書から話を受け継いで、伝えていきます」 後世の人たちに何を残していけるか。それこそが「記憶の未来」 756年、聖武天皇が亡くなった後、光明皇后は600点あまりの品々を大仏に献納しました。その中には様々な宝物があり、1200年を経た今でも正倉院展などで公開され見ることができます。 大仏の台座の下には「蓮華蔵世界」という絵が彫られています。この絵が意味するところを、森本さんは次のように解説しています。 「私たちはすべて心で成り立っている。心は優れた絵描きのように様々なものを描き出します。心をどのようにしっかりもって、人々にいろんなものを伝えていくか。それがちゃんとわかるようになれば、私たちの心はより良い未来を作るのです」 私たちもいずれは亡くなります。そのとき、後世の人たちに何を残していけるか。それこそが「記憶の未来」なのだという言葉で、森本さんはセッションを締めくくられました。